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国際会議

第23回法整備支援連絡会

国際会議   2022/08/09 (火)  12:05 PM

6月25日、オンラインにて法整備支援連絡会に参加しました。

各長期専門家からの現状報告のほか、内田貴教授の基調講演もあり、改めて「本当の法整備支援とは何か」と考えさせられる会議だったと思います。

 

内田教授の講演は、日本が法整備支援を他国より「受けていた」当時の歴史を踏まえて分析されたものでした。

 

日本の場合、フランス人ボワソナード(旧民法典起草)やドイツ人ロエスレル(旧商法典起草)に高額の報酬を支払って法起草に頼っていた時期が比較的長期に及んでいました。その期間、基本法典の起草だけでなく、穂積陳重を始めとする国内法学者の育成に国として注力をし、最初は英語(外国語)で法教育を教授し、次第に外国語から日本語(母国語)での法教育へシフトするようになっていきました。以後、熾烈な法典論争により外国人によって起草された法典を受け入れないという日本人の意思を表現するようになりました。日本語での法教育ができるようになってから6年経たずして、穂積陳重を筆頭に、明治民法典が起草されたのです。その際、担保付社債法・各種抵当法は外国人の支援を受けずして起草に至りました。日本において短期間で法学が誕生したのは、①漢学の素養(朱子学を基礎として西洋法学の概念を理解できた)、②1200年間の法の運用経験(法における先例主義)、③西洋の法学を学ぶことができる人材の集まりの3要素が根本にあったと、内田教授による解説がありました。日本の場合、外国による法整備支援からの早期脱出という意思の強さ、法整備支援は最終的には「人」の問題(人材育成、活躍できる環境、国内支援整備)であるという向上心から、今日日本が独り立ちができたものと思われるとのことです。

さらに、現地会場から、今日本が行っている開発途上国への法整備支援における人材育成に関しての質問に対して、内田教授は「激しい議論」を経てこそ「人」の育成ができるものであり、それには正直、母国語でないと議論が難しいところもある、日本の過去の経験を踏まえたうえで検討すれば少数の卓越した人材を中心に育成する方法が考えられる、とお答えになられていました。また、被支援国において、人材そのものの意識が低いことすら気づいていないなかでどのように気づかせるかという質問に対して、日本の過去の経験では、「海外との貿易」取引を進めていきたいという課題の中で、自国の意識の低さを気づいてきた体験がある、このほか法整備支援を通じて若手の職業への憧れ(職業選択肢の広さ)も人材レベルアップのきっかけの一つになり得るのではないか、と助言されました。

この基調講演は、私だけでなく現役の長期専門家にとっても非常に感銘を受けた内容だったと思います。それほど振り返ることのない過去の日本が法整備支援を受けていた時代ですが、実はその期間に、今(これから)日本が他国へ支援する際の大切な事柄を数多く習得していました。一度立ち止まって、自国の歴史を学び直すことの重要さを感じた次第です。

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